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没入感のすごさでは近年随一。

1につづき、2もアイマックスで見てきました。これは大画面で見る映画ですね〜。

音楽のハンス・ジマーも好きなので、自分にはドンピシャ。あの重低音に浸っていると、たまらんのですね〜(体調悪い時には避けた方が良い)。

SF小説としての「デューン」は、後半は正直、世界観が大きすぎてついていけない感じなのですが、前半は、貴種流離譚、勧善懲悪、復讐、そういったシェイクスピアからの伝統を感じさせる「物語性」によってぐいぐい引き付けられる作品です。

映画も、過去から、前半のみを映像化する方針は変わらず、それはそれで英断と思います。

復讐劇では「ハムレット」的な悲壮感すら漂よわせ、ラウラとの剣での戦いは、まさに見せ所。

ティモシーがすっくと立って、剣を振り上げる後ろ姿など惚れ惚れします。いや、ここに陶酔するのが危険なのは百も承知。

小説はそうしたカリスマ性が世界をまた混沌に落とし込むことに警鐘を慣らしもしているからです。でもでもティモシー演じるアラキスの王子はカッコ良すぎる。

今回も「ナウシカ」からの逆引用が秀逸(前回はオーニソプターのメーターがガンシップのそれ)。すなわちワームの表皮が鎧のようになっていて、そこにアンカーのフックがひっかかるのですが、それって「王蟲」の殻のオマージュですね(小説では表皮に直に打ち込まれる…)。じわっときました。

「デューン」の世界観が「スター・ウォーズ(砂漠、フォース、剣での戦い)」や「マッドマックス2(水を支配する暴力組織)」「宮崎駿(ナウシカの王蟲、ラピュタのフラップター)」などに影響を与えたことは有名。それだけに映画通はそれを踏まえての映像化にニヤリとするわけですね。最後、政略結婚を選択し、チャニと表向きは離縁するポールのクールすぎる眼差しに、不穏を感じ、続編ありきのチャニの出立シーンでの最後にはなんともあざとさを感じてしまいますが。次も見ないと!。

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i.jihoo2001@gmail.com

井桁慈歩がじわっときた出来事について書いていきます。