つい最近出版された翻訳本ですが、具体的なタイトルを書くことはできません。原著は名著に違いないでしょうが、本書は読んでいて違和感を感じました。訳にひっかかるところが多く、最高学府を出られ大学教授まで勤め上げた人の仕事とは到底思えない質。
ネットで調べると、ありましたよ、誤訳を指摘するサイトが。そしてそこになんと訳者本人が言い訳の投稿を。
音楽書籍はかなり読んでいますが、過去に読んだ件の作曲家の関連書籍にも酷い誤訳があり、辟易とした記憶があります。それはこの作曲家のライヴァルが当時、実態暴露を目的に書いた本。一見、揶揄に見えますがあくまで実態暴露であり、中傷記事ではないのですが、訳者が「中傷もしくは揶揄」を暗黙の前提にしたために、楽器に関する大切な事柄まで事実誤認させることになってしまったのです(楽器をよく知らないために起こった誤訳)。それは本書にも頻発します。歴史的事実をしっかりと現代の人に伝えるためにはそのような誤訳があってはならないのですが、その責任感のないままに出版していることに大いに落胆せざるを得ません。音楽学は政治的地勢的な背景、言語学の背景の他に音楽そのものの歴史と音楽への理解、そして楽器の発展の過程など極めて多様な知識の集成が必要です。伝統音楽を幼少の頃から習い、楽器や楽譜の成立や、音楽そのものの本質に精通している必要もあります。単に「教養」のレベルでは不十分です。自分の趣味嗜好だけなら今はネットでの発信もあります。公の場へのプレゼンとしての出版文化はどのようになっていくのでしょうか。編集者の質の低下とあいまって、憂うべき状況です。
出版業界のみならず、音楽会の世界でも、プロモーターが素人なのか、プレゼンすべき内容を解らないで興行している例も多く見かけます。そのため聴きたい人、学ぶべき人に届かないのです。支える側に文化を享受するのに必要最低限の知識もない人がいるだけでどれだけの損失があることでしょう。
野球の世界でも裏方に素人が一人でもいたらダメにしてしまう、と球界の人が書いている記事を読んだことがありますが、どこの世界にもそれは当てはまるようですね。