前回取り上げた「ある音楽家の生涯」とは雲泥の差。訳のすばらしさによって内容がしっかり頭に入っていくる。以前読んだボストリッジ著「シューベルトの「冬の旅」」に比べると、それほどのページ数はないが、期待通りの内容だ。副題に「音楽と演奏をめぐって歌手が考えていること」とあるが、音楽に取り組む、そのあり方を自らに問うボストリッジの求心的な著述に取り込まれる。
大きくは3つの章からなる。
まずシューマンの「女の愛と生涯」について。19世紀後半からすでにこの曲の女性蔑視的なものが指摘されていたという記述にはあらためて、考えさせられた。しかし、それを超えて、この曲のもつロベルトの自我としての面についての指摘に刺激を受ける。論評は男声で歌うことの是非にまで至る(前例はあるようだ)。
つぎにラヴェルの「マダガスカルの歌」。これは地政学的政治的な話題になるのだが、この作品を歌うスタンスについて滔々と語られていく。ここでもラヴェルについて一辺倒な理解しかしていなかった自分の無知を恥じるしかない。複雑な背景と、このユニークな歌曲の関連。そして「叫び」でもあるこの曲の本質に触れることができた。
3つめはブリテンの「カーリューリバー」を中心に作曲家について語られる。ここはもちろん同性愛的なブリテンの立ち位置も関連するのだが、それは、タブーとしての同性愛などというものを超えて、「真の愛」のあり方へと繋がってくる。一連のブリテンの作品が「死」や「愛」を本質的にテーマにしていることが炙り出されているのだ。
読み終わってまず考えたこと。音楽家として音楽作品をどのように捉えるべきかというアーティストサイドの思考についても、ここには十分学ぶべきことは多い。それ以上に聴き手として、芸術家がどのように社会とコミットメントしているのかということが伝わり、大きく感銘を受けた。ボストリッジのような一流の芸術家ならではなのかも知れないが、信頼すべきアーティストが、いかに作品と向き合っているか、という問いに一つの回答を与えてくれたことには違いない。