事実は小説より奇なり。これは映画にできそうな内容。
驚くべきはいまだにナチスのシンパがいるということ。政府高官や司法の場にもシンパがおり、それが逃亡や罪を軽減することに寄与していると言うのだ。
話の筋は、ベルリン爆撃によって、またソ連軍によって破壊されていたと思われていた総統官邸のブロンズの馬の像をめぐる奪還作戦。そこにいたるまで話はさまざまに紆余曲折し、その他総統のお宝が闇で売買されていたことが次々と判明、あたらしい事実にも驚く。
そしてそのお金がどうも「逃亡や罪の軽減」のための資金に使われていたようだと言うこと。同胞をみすみす売り渡すことはしたくないと言う思いは少しは理解できる。しかし、闇は深い。ソ連のシュタージや軍部が密輸に関連していたとするならそれはさらに問題なのだから。東諸国のビロード革命から四半世紀も経ってなおこれら事実が隠蔽され続けていたと言うその事実。「陰謀」などという壮大なものではない。ちんけでけちくさい悪党の悪巧み程度なのだが、人間の奥深い闇はそういうところにこそ普遍的に存在し、人々を脅かす。権力者の自己保身、身内に甘く秘密を漏らしたものには厳罰を与えるような不公正な心理。しかしそれは実は体制側が用意した仕組みでもあるのだ。
日本に目を向けよう。少子化が叫ばれて久しい。しかし何も進んでいない。株価ばかりが上がる。だれが得するのか?当然この国を牛耳っているものばかりだ。旧薩長連合、旧財閥系、官僚、そしてそれらに寄生する政治屋、宗教屋たち。かられの懐だけが潤う。国民は税金に苦しみ、物価高に苦しみ、教育費の高騰化に苦しみ、一部の裕福な子弟だけがチャンスを得られるような仕組み。もちろん「天才」はそれを突破してくるが、そういった「天才」を嫌い、足を引っ張るのもそれら既得権者たちなのだ。それらは明治維新以来仕組まれたもの。あらためてその仕組みを打破することが必要だろう。流血の革命ではなく、個人個人の覚醒によってのみ到達される真の革命。